1984年 早稲田
早稲田に住んだのは1年だけだ。
1984年。
バブル前夜の世の中だ。
しかし、今だにこの1年間の出来事は街の記憶とともによく覚えている。
まだあるもの。
既になくなってしまったもの。
あの頃の記憶を追いかけて、歩いてみた。
2010年11月に探した1984年の早稲田の記憶。
新宿区西早稲田2丁目。
今はなき安部球場に隣接してその古ぼけた学生寮は存在した。
建物は本館と別館とがあり、食堂と学生の部屋、それに住み込みの寮母さん2名がいたのが本館。
寮の大家さんの住まいと、その2階部分が学生部屋になっていたのが別館。
僕は、別館北。という聞からに条件の悪そうな部屋に住んでいた。
寮に申し込んだのがほとんど最後の方だったので、ほぼ選択の余地がなかったからだが、
窓をあけるととなりの家の物干し台越しにサンシャイン60を望むことができ、それほど住み心地の悪い部屋でもなかった気がする。
別館には、同じく北側に6畳の部屋がひとつ(ウチは4畳半)と、
廊下を挟んで南側に4部屋。
当時の住人とは、もうほとんど交流がないが、
唯一南側の一番広い部屋に住んでいた男とは未だに付き合っている。
ちなみに、かつて寮のあった一角は、10年以上前にはすっかり再開発されて、今は立派なマンションが建っており、当時の路地も、さらには安部球場もない。
路地裏で、近所の小学生が遊んでいた光景を思い出す。
永遠に出会うことのできない心象風景となってしまった。
ちなみに、マンションの一階にあるイタリアンレストランも、出来てから既に15年以上経過しているのではないかと思う。
出来たばかりの頃、来たことがある。
新しい風景すらも、既に過去の思い出のひとつとなっている事に、年月の過ぎ去るスピードの速さを感じられずにはいられない。
以前寮のあった場所はすっかり変わってしまったが、寮の前の道だったところから、都電早稲田駅にむかって少し下りたところには、いまだにこんなアパートが残っていた。
僕の住んでいた寮もおそらく年代的には同じようなものなのだろう。
寮のあった場所から、現在の早大図書館の脇の遊歩道を南側に進むと、グランド坂という通りに出る。
図書館の場所は、かつて安部球場のあったところだ。
僕らの住んでいた寮のおばさんによれば、江川の時代の巨人の正捕手だった山倉が早大に在籍中、柵を越えてホームランボールがたくさん飛び込んで来たそうだ。
僕がいた頃は、あまり有名な選手はいなかったように思えるが、正真正銘ここが早大野球部のグランドだった。
今ではただ、坂の名前に名残を残すだけとなってしまった。
グランド坂を上に進むと、早稲田通りとぶつかる西早稲田交差点に出る。
グランド坂を背に、この右手がかつては細い路地で形成されていた一角で、角に大学イモを売る店があった。
交差点をまっすぐ早稲田通りにそって進むと高田の馬場駅。
左に進むと東西線の早稲田駅方面。
少し歩くと、何と松の湯を発見!
当時の学生寮には当然風呂などあるわけがなく、僕らはこの松の湯か、後述の大隈通りにあった銭湯(残念ながら名前を忘れてしまった)に通ったものだ。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)














































